作り手でもあり、
和紙の提案者でもありたい。
趣味の陶芸からものづくりの世界を垣間見る。 陶芸作家になりたかったが、断念。
陶芸は、国宝の方からカルチャースクールで習ってる方がいるので文化としてなくなることはない。と考え、逆の発想で消えていきそうなものはないかと探すうち、手漉き和紙に辿り着く。
美濃和紙の和紙スクールに研修に参加。
参加した数年後、検査センターで勤務中に見た新聞広告で京都伝統工芸専門学校に行くと決める。
専門学校在学中、月山和紙の三浦氏と知り合う。父の実家が鶴岡なので、小さい頃から度々訪れていた。三浦氏に弟子入りを希望するも断られる。京都の黒谷和紙協同組合で手漉き和紙製造に従事しながら、専門学校の助教も勤める。
全国の和紙職人が集う会にて、再会した三浦氏から月山和紙の後継者としてのお声かけをいただく。
地域おこし協力隊として西川町に移住する。
(紙屋作左ヱ門の作左ヱ門は、鶴岡の父方の実家の屋号の作左ヱ門から)
月山和紙を次の世代に
バトンを渡せるようにしたい。
400年の歴史を持つ月山和紙を通じて、西川町を知ってもらえたらと思います。作り手でもあるが、和紙の使い方の提案者でもありたい。使い方の提案や作品制作を通して、和紙を身近に感じてもらったり興味を持ってもらうきっかけになればいいなと考えます。
今後は和紙製造や小物制作も継続しつつ、店舗などの壁紙としての和紙の内装施工にも携わっていきたい。