代々受け継がれていく「伝統こけし」を守る
大井沢で木地業が発達したのは明治32年以降。当時集落の長であった志田五郎八が地域振興のため秋田から職人を招いて、漆器を製造・販売し、大正時代に最盛期を迎えた。菊宏の祖父・志田菊摩呂は18歳の時に五郎八に師事し、72歳にしてその名を高めると、こけし作りに傾注。大正時代に当地で作られていたこけしを復元し、以来その作風(大正型こけし)が菊摩呂こけしの名で親しまれた。孫「菊宏」はその意志を受け継ぐべく、学生時代から祖父の足踏ロクロで木地を挽いていた。山形県米沢市の「髙崎祐一」氏に師事し、昭和55年より5年間の修業期間を経て故郷大井沢に「菊摩呂こけし工房」を開業。志田五郎八、菊摩呂、栄の型を復元し、菊麻呂を継承した福助や福禄寿などの木地玩具も製作して精力的にこけし制作に挑む。 「菊摩呂こけし」は蔵王系や鳴子系の流れも汲んだ独自の「山形系」。太胴の「菊摩呂型」には開き菊や重ね菊などが描かれていいる。いずれも頭の鉢が張り、丸みを帯びた肩が特徴。
創作こけしを通じて伝統こけしを知るきっかけに
初代の菊摩呂から受け継いだ型と模様の「伝統こけし」を守りながら、現在、菊宏の長女「楓(かえで)」が父に師事し、三代目として日々こけし作りに精進している。
近年のこけしブームで人気の、個性溢れる「創作こけし」を親子で製作するようになった。しかし作り始めた当初は批判もあったという。 近年では、「きのこなこけし」、「帽子なこけし」と称される愛らしい木地人形でも女性ファンを中心に人気を集めている。これまで継承されたこけしのほか、若年層や女性にも気軽に親しめるようなかわいらしいこけしを手掛けている。