月山和紙のあかりで、こころ休まるやさしい空間をつくりたい
明治時代には町内221戸の農家が冬季の副業として漉いていた月山和紙。しかし、洋紙の普及と高度経済成長のあおりを受けて紙漉農家は激減し、日常生活で使われることもほとんどなくなっていた。そんな月山和紙を最後まで守り抜いていたのが、作者の曽祖母の家。実家が和紙漉きをしていたことから、幼少より月山和紙に親しむ。実家である旅館にお客様をお迎えする玄関にあかりがあったらホッとしてもらえるのではないかと趣味であかりをつくりはじめる。作り方は保育園の時に風船に新聞紙を貼ってお面を作ったのを思い出し、あるものを利用して独学で制作。およそ400年の歴史と伝統を誇る月山和紙を、もっと日常の中で身近に感じてほしいという思いから、和洋に合うような現代的なあかりや小物の制作に取り組んでいる。
千切ると伝わる、月山和紙の魅力
月山和紙のあかり作りに夢中になった2000年頃から家業で営む旅館にあかりを飾り、木の実や枯れ枝、古民具などを添えてディスプレイしてみた。すると、口コミで広がり、希望者に作り方を教えるようになる。当初、昔の月山和紙だけを使ってあかりを作っていたが、人に教えるようになると和紙が少なくなり、東京へ買い付けに行くようになった。しかし手に入る和紙はパルプ材や海外楮(こうぞ)を使用していたためか、ちぎった感じも画用紙のようで月山和紙のような楽しさがない、作りにくい、どうにも思うようなカタチが作れない。試行錯誤を続ける中、2004年、大井沢で月山和紙を継承していた三浦一之氏のもとを訪れた。「三浦さんの和紙に触れて、その品質の良さと種類の多さに驚きました。千切ったときの毛羽立ちの美しさや、貼り合わせてカタチを作っていく造形のしやすさが段違いなんです。もう他の和紙には戻れなくなってしまいました」以来、三浦氏の和紙を使って作品作りに邁進する。三浦氏も、作者の要望をきいて、和紙の素材や色の試作をするのが楽しくて仕方ないという。
ある時、旅館のオリジナル家具を手掛けた家具職人に仙台で個展をやってみないかと勧められ、恐る恐る開いてみると大好評。これが月山和紙あかり作家の誕生のきっかけとなった。月山和紙の柔らかくもコシの強い素材感、そこから透けて伝わるあかりは、あたたかく優しい世界を醸し出す。